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"なにか"

 どうしても眠れない夜というものはある。もやもやしたもの、得体の知れないなにかが頭の中、胸の奥に居座っていて気分がすぐれない。ことばで表現できない"なにか"、鵺的な"なにか"が私を締めつける。でも、その"なにか"って一体なんなのだろう。これを「ふあん」と一言で片付けてしまうとどこか軽々しい感じがするし、そのふあんにもいろいろあるだろうとも思う。強い不安、弱い不安と言ったところでそれは私が今抱いている"なにか"とは違う。

 

 世界を言葉で言い表すと、言葉で言い表せないものの存在に気づく。どんなに言葉を継ぎ足そうと、言葉で言い表せないものが無限に出てくる。その意味で言葉は不完全だと思う。この世界は言葉の世界よりもずっと広い。有限の言葉で無限のこの世界を言い表せない。だから、もやもやする。でも、なんで言葉を持っちゃったんだろうなんてことは私は思わない。だって、言葉がなかったら家族や友人と他愛もない話をすることができないから。言葉がなければ友人の考えを知ることもできないし、論文なんかただの紙切れになってしまう。言葉がなければ他者の考えを知ることはできなくなる。というか、言葉がなければそもそも考えなんてものは生まれないんじゃないか。私たちは言葉で考えている。たとえば、「今日は雨だから傘を持って行こう」と考えるときには言葉で考えていると思う。言葉抜きの考えはありえない。「」このようなカギカッコがあるとしてそのなかに何か考えがあるとは私にはとうてい思えない。ただのカギカッコにしか見えない。だから、言葉と考えはセットになっていると思う。言葉が考えを作り、その考えを言葉が運ぶということなんだと思う。言葉がない世界では自分が他者の考えを理解することはできないし、そもそも考え自体が消失してしまう。そして、自分が他者の考えを知ることができなくなるならば、自分にとっての他者という存在はかなり薄い影のようになってしまうと思う。言葉はだから、他者を色濃く浮かび上がらせる働きを持っているということができると思う。私にとって他者の考えを知るのは刺激的で、他者の考えがなければ今の自分もないと思っている。だから、他者を浮かび上がらせる言葉のない世界なんて想像できない。少なくとも想像したくない。

 

言葉で言い表せないなにかは確かにある。言い表したいのに言い表せない。そのもやもやは私を苦しませる。なにかを言い表す言葉がないならなにも言わなければいいのか。語りえぬものについては沈黙しなければならないとどこかの誰かが言ったけれど、語りえぬものは語ることによってその正体が次第に部分的にでもわかってくるんだと思う。ことばは有限だと言ったけれど、それは他者という無限の可能性を秘めた存在へと私を導く切符なのだと思う。